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サンクチュアリ ブログ です。管理人マルボロの日記です。メインはバイクですが、バイク以外の内容も載せていきたいと思います。

奥州藤原4代?5代?

 こんばんは。マルボロです。

 今日は久しく歴史ネタ。その中でもあまり知られていない奥州藤原氏について。



 こちらは中尊寺金色堂の覆いの建物。中には金色のお堂がありんす。昔は金色のお堂をむき出しにしていたようですが、劣化を気にしてカバーをつけたらしい。要するにカバーに遺産的価値は全くないのだ。

 まあいいや。奥州藤原氏といえば、藤原経清から始まり清衡・基衡・秀衡・泰衡の5人。
 経清は、安倍貞任とともに時の源氏の棟梁である源頼義と戦った偉大な武人。
 清衡は経清の死後、清原家の養子として生き残るが、源義家とともにに同腹の弟である清原家衡を倒し、奥州藤原の基を築く。そして中尊寺金色堂を建立。
 基衡はその後の陸奥を更に安泰なものとした。奥州に藤原ありき!と言えるのも、この人物の政治手腕のお陰。
 秀衡は源平合戦の時、源義経を庇護した人物。源頼朝が平氏を倒し、義経討伐を打出した際、義経保護策を通そうとしたが、悲願の病死??老衰?暗殺??
 秀衡の死後、長男の国衡でなく次男の泰衡が跡取りとなるが、源頼朝の圧力に負け義経を殺害、それでも頼朝に恭順を許されず阿津賀志山の戦いで敗北、家臣に見限られ殺害された。

 とまあ、ざっと挙げてもこのくらい。詳しく書いたら本が数冊出来上がる・・・。

 中尊寺金色堂に収められている遺骸は、清衡・基衡・秀衡・泰衡の四人。(泰衡は首のみ)

 秀衡亡き後、陸奥は統率が乱れていたのか、阿津賀志山の戦いで泰衡は2万程度の軍勢で10万以上の源頼朝軍に立ち向かった。しかしながらここに疑問符が残るんです。

 当時、陸奥は一大勢力を誇っており、平氏や源氏も凌ぐ兵力を有していました。その数15万とも20万とも。そして莫大な富。源平合戦の際も陸奥の動向は両者ともに気掛かりなものでした。
 それが、陸奥討伐の際には源氏が10万の軍勢に対し、1万~2万程度の軍勢しか導入しないというのは何とも解せません。その時陸奥では藤原基成を始め、内部で割れていたとはいえ解せません。

 歴史的には泰衡=ダメという見識ですが、実際はどうなのでしょう・・・。陸奥の民にしてみれば、清衡・基衡・秀衡の三人に敬いはあっても、泰衡には大してはどうかしら・・・。寧ろ、売国の逆賊ぐらいの憎しみがあるはず。義経殺したし。
 しかし、金色堂には英雄三人に揃って、泰衡の首が今でも弔われております。先祖を敬う気持ちなら、どっか適当な土地に慰霊碑か塚ができる程度じゃないのでしょうか。

 そこへ更に、義経生存説。面白くなってきたな♪

 事実、頼朝に降伏した後、陸奥の民や町はそのままの状態で許されました。

 泰衡は名君で、実は義経を殺してはおらず(偽首)、更には自分の身を犠牲にして陸奥を頼朝の手から守ったのでは??
 いえ。これは自分が考えたことではありませんよ。受け売り受け売り♪高橋克彦さんの「炎立つ」という歴史小説の受け売りです。

 しかし、歴史なんて後に残った者が適当に書き換えることも出来るし、わからないものですよね。残った証拠や信憑性の高い資料を元に書き上げられる訳ですし。

 そこに歴史のロマンがあるのです。

 残っているのは、金色堂と泰衡の首。とりわけ陸奥に関しては文献が少ない。

 ただ、頼朝は相当疑り深く、狡猾な人間でしたので、義経を生かしておくことはありえなさそうですが・・・。
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